名古屋城の見どころとアクセス方法について!
日本全国のお城ファンを魅了する名古屋城の見どころとは? |
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「金の鯱(しゃちほこ)」と言えば名古屋城を思い浮かべるように多くの観光客がツアーを利用して訪れます。現在、名古屋城の天守閣は木造天守再現のため、中に入ることができません(2022年12月を工事完了予定)。ただし名古屋城には非常に多くの見どころがあります!今回は名古屋城の見どころをご紹介します。 |
(この記事は約3分で読めます)
目次
- 名古屋城とは?
- まずは「正門」
- 鉄板張りの「表二之門」
- 西南隅櫓は常時公開!
- 東南隅櫓、別名「辰巳櫓(たつみやぐら)
- 復元された「本丸御殿」
- 金のしゃちほこがある天守閣【現在は改装中】a>
- 加藤清正!?清正石の謎
- かつての冠木門!旧二之丸東二之門
- 焼失した旧国宝天守の礎石
- 御深井丸と書いておふけまると読む!
- 清州城より移築した茶席
- 重要文化財の西北隅櫓
- レンガ造り漆喰塗りの乃木倉庫
- 緊急の脱出路!埋御門跡
- 二之丸広場
- 二之丸御殿の北側に設けられた二之丸庭園
- 二之丸大手二之門
- 名古屋城のアクセス方法・最寄り駅
名古屋城とは?
名古屋城は元々、織田信長出生の城とされる今川氏親の那古屋城(なごやじょう)の跡地周辺に、徳川家康が1610年(慶長15年)に築城したことで誕生しました。
「天下普請(てんかぶしん)」という江戸幕府が全国各地の諸大名に命令を出し土木工事を行うことで築城され、大坂城の豊臣秀頼との武力衝突に備えました。そのため加藤清正、福島正則など、北西国の大名20名がおり、城内の石垣には各大名たちのそれぞれの刻紋が多数残っています。
天守閣を見上げると名古屋城のシンボルマークでもある「金の鯱(しゃちほこ)」を見ることが出来ることもあり非常に優雅で、多くの観光客がツアーを利用して訪れます。
しかし太平洋戦争時の1945年(昭和20年)5月14日の名古屋空襲により、本丸御殿、大天守、小天守、東北隅櫓、正門、金の鯱などが焼夷弾の直撃を受けて焼失しました。その為、現在の名古屋城はそのほとんどが復元された形となっています。それでも日本全国のお城ファンを魅了し続け多数のお城観光ツアーに組み込まれています。
【名古屋城情報♪】
名古屋城の天守閣はコンクリートで造られた建造物ですが、老朽化や耐震性の問題から「木造天守復元」を進めています!完成は2022年の12月!
完成すれば、日本国内外問わず多くの観光客が訪れ、活性化されること間違いなしですね^^
まずは「正門」
名古屋城の正門は元々、江戸城の溜池御紋(ためいけだごもん)から移築されたものですが、1959年にコンクリートで再建されたものです。
名称である「正門」と呼ばれている理由は、名古屋城の本丸付近が明治維新後に史跡保護のため「離宮」となり、「準皇居」になったことから「正門」と名付けられました。1910年(明治43年)の際、第2次世界大戦により焼失したため、昭和34年(1959年)に天守閣と共に現在は鉄筋コンクリートにより再建されました。
鉄板張りの「表二之門」
昔は「南二之門」と呼ばれており、門柱・冠木とも鉄板張りを用い、用材は木割り(日本建築におけるそれぞれの部分の比例部材寸法を定める体系)が太く頑丈に造られています。
この堅固な門と鉄砲狭間(防御用の鉄砲穴や窓のこと)によって、名古屋城は守られてきたのです。名古屋城を訪れた際には在りし日の陣形を思い浮かべてみるのもよろしいでしょう。
西南隅櫓は常時公開!
西南隅櫓は昔。未申(ひつじさる)隅櫓と呼ばれ、本丸の隅櫓は天守と同時期の1610年(慶長15年)に完成されました。東と北の方角に多聞櫓(たもんやぐら)が付属していましたが、近代に撤去されています。
外観は2重、内部3階建となっており形状を説明しますと、土などを厚く塗り込み造られた塗籠造(ぬりごめづくり)。再利用可能な古い瓦と新しい瓦との調和のとれた雨や強風を凌げる本瓦葺(ほんかわらぶき)。そして下層の屋根には南面に切妻破風(きりつまはふ)、唐破風(からはふ)、西面に入母屋破風(いりもやはふ)が付属して両破風の軒下に石落としを設けたことで敵の侵入を防ぎました。
1891年(明治24年)10月28日に発生した濃尾地震により甚大な被害を受け、復旧や解体修理を経て新しい構造材も多数見られますが、規模や形態は建造当初の姿に復元されております。
【名古屋城情報♪】
2018年11月3日より、これまで特別公開しか行っていなかった西南隅櫓を常時公開に変更しました!ちなみに一度に見学できる人数が限られていて、スタッフを含め3階は9名以下となっています。なので、場合によっては並ぶ可能性もあります!
東南隅櫓、別名「辰巳櫓(たつみやぐら)
東南隅櫓、別名「辰巳櫓(たつみやぐら)」は追手門から入城したときに最初に見える櫓です。ソメイヨシノが植林されており、桜の開花時期に美しい風景が楽しめる名所となっています。
西南隅櫓と規模や構造は同じですが、敵への攻撃や物見のために設置された「落狭間」とは違った形をしているのが特徴です。この櫓は築城当時の姿を伝えるもので、鬼瓦などに徳川家の家紋である「葵の紋」を確認することが出来ますので名古屋城観光の際に確認してください。
復元された「本丸御殿」
高々とした天守閣と豪華な御殿が並び、名古屋城は城郭建築としての最高級の風格を成していました。しかし1930年(昭和5年)に国宝に指定されましたが、1945年(昭和20年)5月、名古屋空襲により天守閣、本丸御殿ともに焼失してしまいました。現在は復元された形となっています。
この本丸御殿は、近世城郭御殿の最高傑作と名が高く、京都二条城の二の丸御殿と並ぶ武家風書院造の代表と言われています。名古屋城本丸を訪れた後、「VS京都二条城」として、二の丸御殿と比べて見るのも面白いでしょう。
金のしゃちほこがある天守閣【現在は改装中】
コンクリート製の名古屋城天守閣
※名古屋城の天守閣は木造天守再現に向けて改装中!2022年12月を工事完了予定
本丸の北西隅に位置する名古屋城の天守閣は連結式層塔型で、この大天守が完成したのは1612年(慶長17年)のことでした。
大天守は層塔型で5重5階、地下1階、その高さは55.6m(天守台19.5m、建屋36.1m)と、18階建ての高層建築に相当する規模で、延べ床面積では4424.5m2と史上最大級の規模となっています。
大天守の屋根の上には徳川家の威光を表すためのものとして、金の板を貼り付けた金鯱(きんこ)いわゆる「金のしゃちほこ」が載せられました。
金箔押の鯱瓦(しゃちがわら)と金板張りの木造鯱(もくぞうしゃち)の二種類構成で粘土製の素焼きの鯱瓦に漆を塗り、金箔を施した「金箔押」の鯱瓦と「金属板張」製の木造鯱となっております。総重量は1272kg、現在の価格に置き換えますと一匹約2億円となっており、過去4件も盗難事件があったことから、その豪華さと金貨価値はいつの時代も人を魅了してやまないものなのです。
加藤清正!?清正石の謎
石垣の中の目立つ大きな石がなぜ清正石と名付けられたのかは不明です。
天下普請により天守閣の石塁の構築を命じられた加藤清正は、巨石の運搬に際し、自ら音頭をとって、木遣(きやり)という労働歌を歌わせながら民衆の老若を問わず綱をとって運んだと伝えられています。
しかし、その当時丁場という担当区域は黒田長政だったので、加藤清正が音頭をとった説は否定されています。
かつての冠木門!旧二之丸東二之門
古くは二本の柱の上に冠木を貫き通された冠木門(かぶきもん)と呼ばれ、二ノ丸の東門で三の丸からの入口にあたっていました。
門柱・冠木や扉などには帯鉄が打ち付けられており、用材は木割りが太く堅牢に造られています。1963年(昭和38年)年に解体され1972年(昭和47年)に現在地に移設されました。名古屋城観光の際は門のシンプルで静かな佇まいを楽しんで下さい!
焼失した旧国宝天守の礎石
天守礎石は1945年(昭和20年)に焼失した旧国宝天守の礎石です。
地下、または洞穴の中に造られた穀物や食料を収める倉庫である「穴蔵」の地盤の上に置かれており、巨大な天守を支えていました。長く焼失跡地に残っていましたが、天守閣再建にあたり現在の地に移し、かつての敷設状況に再現されています。
御深井丸と書いておふけまると読む!
「御深井丸」と書いて「おふけまる」と読みます。御深井丸展示場では、武田貴澄氏作成の貴澄人形と共に織田信長ゆかりの木型なども展示されています。しだれ桜と共に、御覧ください。
清州城より移築した茶席
この茶席は名古屋城築城の際に古田織部(ふるたおりべ)が清洲城古材により建築したもので、戦後に焼失しましたが、1949年(昭和24年)に再建されました。
書院(しょいん)、猿面望嶽茶席(さるめんぼうがくちゃせき)、又隠茶席(ゆういんちゃせき)、織部堂(おりべどう)といった4つの建築物となっており、中でも猿面望嶽茶席は信長が清洲在城の折、この柱の節目が「猿の顔」に見えたため、秀吉に「汝の面の如し」といって茶化したと言われ、以来この名がつきました。
庭内敷地、約2000平方メートルの中に4つの茶席が設置されておりますが通常、一般公開はしておりませんのでご利用の際は名古屋城総合事務所までお問い合わせ下さい。
重要文化財の西北隅櫓
西北隅櫓は名古屋城に現存する三つの隅櫓(すみやぐら)の一つで、「戌亥櫓(いぬいやぐら)」または「清須櫓(きよすやぐら)」とも言われる重要文化財で通常は公開をしておりません。
西北隅櫓は、名古屋城創建当時の原形を伝える建物で、3階3層の造りとなっています。他の古材を利用して建築されており、外部北面、西面に千鳥破風が(屋根の端と一致していない破風)作られ、「落狭間」を備えています。
レンガ造り漆喰塗りの乃木倉庫
乃木倉庫は名古屋城内御深井丸(おふけまる)に残るレンガ造り漆喰塗りの平屋建て近代建築物です。名称の由来は、陸軍少佐・乃木希典(のぎまれすけ)からとされていますが実際のところ不明。
1872年(明治5年)東京鎮台第三分営(名古屋鎮台)が名古屋城内に置かれ、弾薬庫として建築されました。規模は、東西12.28m、南北8.6m、高さ7.68m、面積89.25uとなっています。入口上部や床下にアーチ構造がみられるほか、建物の角は漆喰で石積風に造られています。
第二次世界大戦中の1945年(昭和20年)名古屋空襲により天守閣、本丸御殿等は焼失しましたが、空襲が始まる前に避難させてあった障壁画の一部は現在まで残っていますので名古屋城観光の際に楽しむことができます。
緊急の脱出路!埋御門跡
緊急の際、この門から城主を脱出させるために作られました。この門の下に垂直の石段があり、壕を渡って対岸の御深井丸の庭から定光寺を経て、木曽路に落ち行くことが秘密の脱出路とされていました。
二之丸広場
二之丸広場は元和年間(1615〜23年)に二之丸御殿の造営にともなって同御殿の北側に造られた庭園です。
明治時代になって、二之丸庭園の東側は取り壊され 陸軍の兵舎や練兵場が作られました。現在は二之丸東庭園 として開園しています。享保年間(1716〜36年)以後、改修が繰り返され、枯山水回遊式庭園に改められました。
平成30年(2018年)本丸御殿が完成するのにあわせて名勝指定区域(北御庭)の石組の積み直し、周辺の整備や、削られた築山の復元をしました。
二之丸御殿の北側に設けられた二之丸庭園
二之丸庭園は、文政年間(1818〜29年)に大改造されました。「御城御庭絵図」によれば、北に権現山、その西に栄螺(さざえ)山、南に大きな池を設け、その間に六つの茶席を建造し広大な規模の庭園でした。
明治維新の際、名古屋鎮台が置かれ、陸軍の兵舎や訓練場を作るため権現山の一部を削ったり、池を埋めるなど工事が行われました。昭和50年(1975年)、 絵図に基づいて一部の発掘調査を行い現れた「北池」「南池」「茶席の霜傑(そうけつ)亭跡」「北暗渠(埋設あるいは蓋をした導水路)」の四つの遺構を中心に整備して「二之丸東庭園」 として開園しました。
二之丸大手二之門
二之丸大手二之門は、二之丸の西面南寄りに設けられた正門にあたります。二之丸御殿は元和3年(1617年)に完成し、藩主の居所と藩庁が置かれました。
本瓦葺の高麗門(こうらいもん)形式で、柱や扉には鉄板を打ち付けた堅固な造形をしており、建造年代は天守と同じ慶長17年(1612年頃)の完成とみられていますが、元和年間(1615年〜1624年)という説もあります。
なお両脇に取り付けられていた土塀はなくなっており、かつて内側に建築されていた櫓門形式の一の門も明治時代に失われております。
名古屋城のアクセス方法・最寄り駅
住所:〒460-0031 愛知県名古屋市中区本丸1-1
【電車で訪れる場合】
- 名鉄瀬戸線「東大手」で下車。徒歩15分
- 地下鉄名城線「市役所」で下車。7番出口より徒歩5分
- 地下鉄鶴舞線「浅間町」で下車。1番出口より徒歩12分
【バスで訪れる場合】
栄13号系統(栄〜安井町西) 「名古屋城正門前」
なごや観光ルートバス「メーグル」
基幹2号系統 「市役所」 下車 徒歩5分
【自動車で訪れる場合】
名古屋高速一号楠線「黒川」、もしくは名古屋高速都心環状線「丸の内」から10分以内で到着できます。
「正門前駐車場」情報は
- 利用可能日:1/2〜12/28
- 利用可能時間:8:45〜21:30
- 利用可能車種:普通車・大型車・自動二輪・原付
- 収容台数:普通車319台、大型車18台、小型マイクロバス10台
- 料金:普通車30分毎に180円
- 自動二輪・原付は30分毎に100円
- 大型車は最初の1時間、及び以後30分毎に600円
- 18:00〜8:00の間は最大4000円
『二の丸東駐車場』
- 利用可能日:1/2〜12/28
- 利用可能時間:8:30〜18:30
- 利用可能車種:普通車
- 収容台数:普通車123台
- 料金:普通車30分毎に180円
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